岡山の介護を支えるプロフェッショナルたち
「すべての経験はきっと生かせる」
アイ・ソネックス株式会社 代表取締役 舟木 美砂子さんインタビュー
舟木美砂子さんが開発されたナーセントパット
医療・介護の現場で働く看護師や介護職員でナーセントパット(上記写真)を知らない人はおそらくいないと思います。しかしこのナーセントが岡山で、そしてひとりの素敵な女性から誕生したことを知らない人もたくさんいらっしゃると思います。今回はナーセントを初めとした福祉用具の考案者であり、その製造販売元であるアイ・ソネックス株式会社の代表取締役の舟木美砂子さまにロング・インタビューをさせていただきました。舟木社長は株式会社舟木義肢の専務取締役として、長年にわたり福祉用具を取り扱ってこられ、さらに作業療法士の資格、義肢装具士の資格、介護支援専門員(ケアマネ)等の資格や、豊富なご経験を生かして医療と介護の中のさまざまな分野でもご活躍されてきました。
松浦 「私も医療の現場で看護師をしていた時には、このナーセントパットはあたりまえに使っていました。まさかこれを舟木社長が考案されたなんて当時はまったく知りませんでした。ぜひその秘話などもお聞かせいただければと思います。ところで舟木社長はどのようなきっかけでこの分野に進まれたのですか?」
舟木社長 「まだ幼いころに父が他界し、私は母の実家の山口県で育ちましたが、母はその後再婚し、私も養女として義父に育てられました。小学生から歌うことが大好きで、宇部高校時小学生から歌うことが大好きで、宇部高校時代は365日合唱に明け暮れて、学業は二の次の生活でした。高校2年生の時にNHK合唱コンクールで全国優勝したのですが、この体験から、何事も一生懸命にやれば夢は達成できる、ということを学んだような気がします。ところでリハビリテーションの分野にすすんだのは、偶然、リハビリテーション養成校の紹介するテレビ番組を見たことがきっかけ。入学金も授業料も無料だったのは、魅力的でした。そして何よりも未知のリハビリテーションには、惹かれるものがありました」
松浦 「なぜリハビリテーションに興味を持たれたのですか?」
舟木社長 「実は、母の再婚先には義理の兄が二人おり、下の兄は病弱で幼少期は成長が人より遅く、そのことでいじめにあうこともありました。いつも兄と一緒に遊んでいた私は、本人には罪のないことを他人はどうして責めたり嘲笑したりするのだろうと憤りを感じることもありました。母は、下の兄がいたずらをしても勉強ができなくても、叱らず「体が小さいからすばしっこくて木登りも上手!」などと褒めていました。また長兄は、母が再婚するまで親戚を転々としていたためにひどい夜尿症だったそうですが、その兄のために7枚の敷布団を縫って、「これで毎日、おねしょをしてもだいじょうぶだよ」と言ったそうです。安心したのか兄はその日から反対におねしょをしなくなったそうです。こうした母の姿が私をリハビリテーションへの世界へと向かわせたのかもしれませんね」
松浦 「本当にすばらしいお母さまだったんですね。このお話、とても感動しました。こうして舟木社長はリハビリテーション大学校へと進まれる訳ですね」
舟木社長 「はい。実は地元の国立大学にも合格したのですが、リハビリテーション大学校に行きたいと言うと高校の担任には反対されました。それほど当時はリハビリテーションが認知されていなかったのでしょう。それでも母の後押しがあって入学し、全国231番目の作業療法士として就職することになりました」
松浦 「その後は医療機関にお勤めされたんですか?」
舟木社長 「私は急性期ではなく社会的リハビリテーションに興味があったので、東京都の心身障害者福祉センターに勤務しました。当時はリハビリテーションの黎明期で、将来の日本の作業療法や理学療法を担う先輩や同輩が集まり、非常に学究的な環境でした。東京都心身障害者福祉センターでの経験はその後の私の大きな力となりました」
松浦 「それから、舟木社長は舟木義肢に嫁がれ、岡山にいらっしゃった訳ですね」
舟木社長 「はい。岡山の生活はスタートから波乱ずくめでした。結婚式の2週間前に主人の母が脳炎で倒れ、私は結婚式の翌日から入院中の義理の母の世話をはじめることになってしまいました。義理の母が亡くなった後は、義父や主人の弟妹と同居し、家事や家業の手伝いを引き受けることになりました。また、同居3年後には義父が脳梗塞で倒れ、私は嫁いでからずっと家族の介護や家事、家業に追われることになりました。」
松浦 「それは本当に大変でしたね。」
舟木社長 「子供も生まれ、家族の世話や家業に追われて、7年も8年も埋もれていましたね。その間、東京都時代の親友や同僚は大学院に進み教職に付くなどして着実にキャリアを積んでいるように見えました。弟妹が独立し、子育てが一段落して気づいた時には自分には何も残っていないような焦りがありました。自分らしいことを何もしていない。何かしなくてはいけない。何をすればいいのか。そんなことを2年くらい思い悩んで、不退転の覚悟ではじめたのが岡山県で第1号となる介護ショップでした。」
松浦 「なぜ介護ショップだったんですか?」
舟木社長 「それは、舟木義肢のお客様から相談に乗って欲しい、生活に便利な用具を見たいというような電話や手紙をいただくようになったことがヒントになりました。今から二十二年前のことですから、在宅で暮らす身体障害をもった方々やご高齢者には、気軽に行ける相談場所や展示場所がなかったのです。これまでの私の様々な経験が生かされるのは、そのような場所づくりだと直感しました。民間ですから収益性のない事業は、社長である主人の許可は得られませんので、福祉用具を販売する介護ショップを開設することにしました。これからの高齢化社会には、福祉用具は必ず求められるものになるという確信はありましたが、できるだけ赤字をださないように当面は一人で運営することが社長からの条件でした。全国にまだ数箇所しかなかった福祉用具展示場や介護ショップを見学し、小さな店舗を作り、ショップ開設の案内を市町村の保健所や福祉事務所に向けて発信しました。それがすべてのはじまりでした」
松浦「お一人で介護ショップを始められた訳ですね」
舟木社長「高齢化社会の到来が話題になりはじめた頃で、老人福祉法の改正にともなって地域の保健師さんが在宅高齢者の実態調査をはじめたばかりでした。私は東京都心身障害者福祉センター時代に、訪問によるサービス提供にも携わっていましたので、市町村の福祉事務所や保健所などの公的機関にショップ開設の案内を郵送することにしました」
松浦「反応はいかがでしたか?」
舟木社長「おかげさまで、あちこちから声を掛けていただくようになりました。実は作業療法士の資格も、義肢装具士の資格も伏せて、名刺にはただ営業とだけ書いていましたから、保健師さんと同行すると、とても驚かれてしまいました。制度のことも、道具のことも、福祉サービスのさまざまなことを経験してきましたから、『あなた何者?』って。そのうちそれが評判になって、ほんとうにたくさんの方々に声を掛けていただくようになりました」
松浦「まさにこれまでの経験が生かせた訳ですね」
舟木社長「私は長男の嫁で家族の立場でも苦労してきましたから。だから訪問するとまず、ご本人や家族の思い、身体の状況など聞きとり、そこから一緒に考えて、悩んで、制度の活用も念頭に入れてサービスを提供することを実践していました。やがて子供がまだ小さかったにもかかわらず、夜の11時、12時を過ぎても家に帰れない日が続くようになって、ついに山口から母に来てもらうことしました」
松浦「ナーセントパットをご考案されたのもこの頃だとお伺いしましたが」
舟木社長「はい。重度の床ずれのある方のお宅を訪問看護師さんと同行訪問したときのことです。その方は、仙骨と両側の大転子にも床ずれができて大変困っておられ、「何かよいものはないか?」とのご相談でした。その当時の商品では思いつくものがなかったので、在宅で簡単に使えて、効果のあるものを自分で作ろうと思いました。そのときヒントになったのが、腰に掌を差し込んで、『こうすると(床ずれに)あたらなくて痛くないんよ』と話されていた在宅の方のことです。そのことを思い出し腰の両側からくさび状のパットを差し込んで仙骨を浮かすことを思い付きました。幸いにも義肢装具の工場には、試作する材料はいくらでもありますので、試行錯誤しながらくさびの角度を30度に決めました。それを早速ご相談者の方に使ってもらいました。すると1ヶ月半後に訪問看護師さんから「褥瘡が治ってきた!」との報告があったのです。
松浦「この分野で働く誰もが知っているナーセントパットの誕生ですね」
舟木社長「しばらくは舟木義肢で受注生産していましたが、その後、ご縁があって1988年から株式会社池田模範堂を通して全国販売していただくことになりました。舟木義肢の介護用品事業部は、お客様の声を聞くために中四国地区の総代理店となり、さらに製品の改善や、新たな開発も進めました。その後、2005年に池田模範堂から事業譲渡の話が持ち上がり、舟木義肢の介護用品事業部からも事業譲渡を受け、アイ・ソネックス株式会社を設立する決心をしました。それが5年前です。この5年間は組織づくりが新たなテーマとなりました。組織とは人が生き生きと働ける場所、組織とは自分がここにいて役に立つ人間だと思える場所、そんな組織づくりのために今も勉強中です」
財団法人テクノエイド協会の助成を受けて開発されたスカイリフト
トイレで排泄ケアをしてあげたいという願いから生まれた製品
症状の変化に対応できる長取っ手と短取っ手が特徴のナーセントポータブルトイレ。長取っ手は取っ手をつかんで前かがみになり、体重を前方に移動しながら立ち上がる動きが自然にでき、短取っ手は寝ている状態から起きあがる際、取っ手をつかんで楽に身体を起こせるなどさまざまな利点がある。現場を知る舟木さんだからこそ開発できた製品。
松浦「すばらしいお考えですね。プランタンでも、1週間に1日、例え数時間しか勤務できなくても、みんなから必要とされる人であって、その時間をたいせつにできる人が集まれば、すばらしい職場になるのかなと考えています。ところでお話は変わりますがお子さまは、どのような道に進まれましたか?」
舟木社長「上の子は脳神経外科医になりました。お金儲けする医者にはなれないけど、人の最期を看取れる医師になりたいと言って。下の子は私と同じ作業療法士の道に進みました。母がいてくれたから子供達に関しては苦労をさせられたことはありませんでした。本当にみんな素直に育ってくれました。そんな母がパーキンソン病になり嚥下障害から食べられなくなり、どんどん痩せていって・・・母のことではみんな苦しみ、なんとかしてあげたいと思いました。子供たちも休みの度に帰って、ずいぶんと支援をしてくれました。上の子が医師免許を取得して『合格したよ、おばあちゃん』と報告した翌々日に母は亡くなりました。担当の先生に促され息子が母の最期の脈をとらせていただきました。最愛の孫に看取ってもらえて母は幸せだったと思います」
松浦「医師免許を取得して最初の看取りがお母さまだったんですね」
舟木社長「私は母にロザリオを握らせて『イエスさまが一緒にいてくれるから、安心して行ってらっしゃい』と言ってあげることができました。母は安らかな顔で頷きました。家族のみんなも『ありがとう、また会おうね』と言って母をおくりだしました。実はこれも母が私の祖母を看取ったときにしたことでした。おくりだし方すらも私は母から教わったんです」
松浦「本当にすばらしいお母さまだったんですね。すばらしいお話をありがとうございました」
アイ・ソネックス株式会社 代表取締役の舟木美砂子さまのロングインタビューを掲載させていただきました。その考え方、その生き方に何度も感動しました。私も「すべての経験はきっと生かせる」そう信じて頑張ることができそうです。本当にありがとうございました。
松浦美代
アイ・ソネックス株式会社ホームページ