フリーライター 野田明宏さんインタビュー
「男が介護をするということ」①
今回のゲストはフリーライターの野田明宏さんです。野田さんは現在、お母さまを在宅で介護されながら、山陽新聞のエッセイ・コラムや「アルツハイマーのお袋との800日」(時事通信社)、「アルツハイマー在宅介護最前線」(ミネルヴァ書房)などの書籍の執筆や講演活動をされています。今回は在宅介護を実践されている野田さんのお話を通して、介護について改めて考えてみたいと思います。
松浦 「さてさっそくですが、在宅介護を実践されている野田さんからみて、施設で介護をすることはどのように思われますか?」
野田さん「以前に特別養護老人ホームで、ご家族の方々の前で講演をしたことがあります。その時ばかりは本当に困りました(笑)人によって事情はまったくちがいます。だからこれが正しい介護だとか、そんなえらそうなことは絶対に言えません。僕の置かれた環境があって、今、在宅介護という選択をしているに過ぎないんですから。はっきり言って、僕に妻や、姉がいれば今、僕は在宅介護なんかしていないかもしれません」
松浦 「では野田さんが在宅介護という選択をされたきっかけを教えていただけませんか?」
野田さん「現在、僕は認知症の母を在宅で介護しています。お袋の在宅介護をはじめてから7年以上がたちます。しかし、そのきっかけとなったのは、それよりもずっと前に経験した親父の介護でした」
松浦 「お父様も野田さんが介護されたんですか?」
野田さん「はい。でもはじめからそうしようと考えていた訳ではありません。僕はそれまで好き放題に生きてきました。世界中を放浪し内戦下にあった、エルサルバドルでは政府軍のパトロールにも同行取材したこともあります。ここに骨を埋めようかと本気で考えていました。ところが一時帰国した時に、親父が入院することになってしまったんです」
松浦「それで野田さんがお父様を介護することに?」
野田さん「いやいや。その頃にはお袋がまだ元気でしたから。介護をしていたのはお袋でした。僕はすぐにあちら(海外)に帰るつもりでしたし、病院のような場所に行くことさえも何だか嫌でたまりませんでした。さらに言えば実は親父と僕は、それまであまりうまくいっていませんでしたから・・・」
松浦「でも結局は介護をされることに?」
野田さん「はい。病院への泊り込みの介護で、疲れ果てていたお袋に、少しは優しい言葉でも掛けてあげようと思い『今日は変わったるがな・・・』とつい言ってしまいました。実は、お袋が本当に帰ってしまうとはまったく思っていませんでしたから(笑)でもお袋は本当に疲れていたんでしょうね。帰ってしまいました。心の準備もないままに、いきなり僕は親父の介護をすることになりました」
松浦「どうでしたか?」
野田さん「今から思えばたいしたことはありませんが、あの日の出来事は本当にカルチャーショックでした。第1日目にして真夜中に排泄物で汚れたものを処理して、おむつの交換まで経験しました。そうした知識も経験もまったくありませんでしたから、本当に必死でした」
松浦「これがきっかけでお父様の介護をされるようになったのですか?」
野田さん「そうですね。その後も親父の病状はあまりよくなく、さらに認知症の症状なども見られるようになりました。最終的には10ヶ月間、お袋と24時間交代で病院に寝泊まりして親父の介護をしました」
松浦「男性が病院に寝泊まりをして、ご家族の介護をされるのはたいへんではありませんでしたか?」
野田さん「確かにそうですね。まず、仕事と介護を両立させることはできないと実感しました。しかもまわりの人からも男が仕事ではなく、介護することを選択することが理解してもらえませんでした。『まともに生きていない』とさえ言われました」
松浦「ところで結局、その後は海外には戻られたのですか?」
野田さん「不思議と海外への興味はまったく無くなっていました。親父の介護を通してさまざまな葛藤や経験を重ね、介護の世界に大きな興味が生まれました」
松浦「それで介護ライターとして活動をはじめられる訳ですね。ところでお母さまを介護されるようになったのは?」
野田さん「親父が亡くなってから約10年後です」
松浦「認知症や介護に関する知識は既にお持ちだった訳ですね」
野田さん「確かにそれまでの間、色々な施設や医療機関も取材で見学させていただいていましたが、いざ自分の家族が認知症になったらそれはまったく別ものでしたね。これは残念ながら経験したことのある人にしかわからないと思います」
次回、ハーモニー春号ではいよいよ、お母さまの介護についてのお話をお伺いしたいと思います。野田さんは言葉を飾らず、ありのままにお話をされる方でした。現在、インターネットで公開されている日記の中には、辛くて読み返せないものもあるそうです。野田さんは、お母さまのことを「本当に愛おしい」とおっしいます。次回もどうぞご期待ください。(松浦美代)
前回は野田さんにお父さまの介護についてお話をお伺いしました。現在、野田さんはお一人でお母さまを在宅介護されています。野田さんの在宅介護はテレビ東京をはじめ、さまざまなメディアで紹介されています。また、「アルツハイマーのお袋との800日」(時事通信社)、「アルツハイマー在宅介護最前線」(ミネルヴァ書房)、「アルツハイマーの母をよろしく」(ミネルヴァ書房)などの著作もあります。今回はいよいよお母さまの介護についてお話をお伺いします。
松浦「お父さまがお亡くなりになり、お母さまを介護するまでは何年ぐらいあったのですか?」
野田さん「約10年です。そしてお袋がアルツハイマーと確定診断されて、介護をするようになってから約8年になります」
松浦「お母さまはお元気でいらっしゃいますか?」
野田さん「先日も検査入院をしましたが、先生からも調子がいいですよと言っていただきました。まだまだ長丁場になりそうです」
松浦「お父さまの時には、そのお母さまと一緒に介護をされた訳ですが、お母さまは野田さんがおひとりで在宅介護をされている訳ですよね。それは本当にたいへんなことだと思います。なぜおひとりでもお母さまをご自分で介護されようと思ったのですか?」
野田さん「僕はずいぶんとお袋には心配や苦労をかけてきました。それまでの僕の人生はすべてが中途半端でした。でも中途半端な気持ちでは介護はできないことを、親父の介護を通してよく知っていました。だからお袋は、とにかくきっちりと自分で介護しよう。自分でそう決めました。確かに今はどこにも行けない毎日です。きついことはきついけど、お袋のせいだとか思ったことはありません。今は本当に愛おしくてしかたがないんです。生きてさえいてくれればそれでいい。一緒に過ごせるだけで毎日がなんだか幸せなんです」
松浦「ブログも拝見しましたが、本当にお辛かった時期もありましたね」
野田さん「最近の日記『新和ちゃんと一緒に』は余裕が出来ていますが(笑)その前に書いていた『日記』はとにかく悲愴感が漂っています。平気でお袋を叩いて、それがあざになっている写真をアップしたり・・・むちゃくちゃでした。あれはもう読み返せません。お袋がかわいそうで・・・」
松浦「どのような思いでブログを書かれていたのですか?」
野田さん「まだブログという言葉もない時代で、僕はホームページの作り方の本を買ってきて勉強しながらアップしていました。とにかく一親等はお袋と僕しかいませんでしたので、誰にも愚痴も言えませんでした。書くことによってうっぷんをはらしていたのかもしれません。誰かに聞いて欲しい、わかって欲しいというのもありました。当時は日記に書くことにしか逃げ道がありませんでしたから」
松浦「がんばらない介護という言葉もありますが、それは野田さんから見てどのように思いますか?」
野田さん「私の連載記事が山陽新聞に掲載された日、その隣が共同通信配信の『がんばらない介護』の記事でした(笑)はじめは『がんばらない介護』という考えが理解できませんでした。がんばらないとやはり介護はできないと思っていましたから。でもよく調べてみると一生懸命にやってきた人が、がんばらない介護を提唱されていましました。その厳しさを知っているからこそ『がんばらない介護』を提唱されているのだと思います。僕は本当に母親の介護を一生懸命にしてきました。その自負があります。正面から闘ってきました。間違った介護もしてきました。一生懸命やっても間違った介護をしてしまっては意味がありません。今はすべてを全力投球すると続かないこともわかってきました」
松浦「最後に野田さんにとって在宅介護とは何ですか?」
野田さん「意地で在宅介護を続けている訳ではありません。在宅で介護することがすべての人に共通する答えだとも思っていません。そんなえらそうなことは絶対に言えません。例えば僕が親不孝をしてこなかったら、お袋の介護はしていないかもしれません。姉や妹や妻がいれば自分で介護なんてしなかったかもしれません。その他にもさまざまな環境が今の自分にそうさせているに過ぎません。ただ、今はお袋が本当に愛おしい。この人が僕のお袋でよかったと・・・それだけですね」
松浦「今日はありがとうございました」
野田さん「こちらこそありがとうございました」
お母さまと歩んできた歴史は、この短いインタビューでは書ききれません。ぜひ野田明宏さんのホームページや書籍をご覧ください。在宅介護と施設介護。そのアプローチはまったく異なるかもしれませんが、最後にその真ん中に同じ「愛」の気持ちがあることを知ることができました。
松浦美代
野田明宏ネット http://www.noda-akihiro.net/index.html